行間は人生経験で読む

ながら仕事をしながらラジオを聞いていたら、こんな言葉が耳に届いた。

そうだよね。

 

読む対象は活字に限らない。

そこにコンテクスト(文脈)があればいいのだから、聴くことだって。

 

敷衍すれば、対人関係だって「読む」対象になるのだろう。

「忖度」は、行間を読む行為のひとつだと思う。

 

鈍い人、空気が読めない人は、ひょっとして、経験不足からそこに漂う見えないもの(行間)に気付けないのか?

 

初めての作業でも上手にこなす人は、過去の経験を上手に活用しているのだろう。

彼らの頭の良さは、そこにあると思う。

 

でも、行き過ぎは如何なものか。

メディアで「忖度」という言葉を見聞きすると、なぜかそこに否定的な響きを覚える。

 

なまじ経験があるから、行間を深読みして、あらぬ方向に走ってしまう。

相手にその気があると察すると、早速それを利用するずるい人間もいる。

 

やはり、行間などというものを読まなくてもいい、読ませなくてもいいようなコンテクストを意識して作ることが大切なんだと思う。

 

「鈍い奴だ」と思ったら、どうしたらいいのかを伝える。

「空気を読めよ」と言う前に、空気の読み方を伝える。

 

とはいえ、余韻というのも大切だから。

推し量るところがあるから、例えば俳句や恋愛は面白い。

 

明瞭8割、暗黙2割ぐらいが丁度いいのかな。

すべてのことが「科学論文」のように隙間なく埋められたら、それはそれで、ねぇ。

 

 

積読

変換ができたことに、まずはびっくり。

速読、多読、乱読、読み方にもいろいろとあるけれど。

 

今の今まで手放せなかった本の一冊。

奥付を見ると2003年初版とあるから、20年近く身近にあることになる。

 

「やさしいビジネス英語 実用フレーズ辞典」(NHK出版)。

いつか読むぞと思いながら、長い年月が…。

 

初老の入り口に立って、「そんなに急くこともないか」と最近よく思う。

それでいいのか!と言われてしまうかもしれないけれど。

 

あれこれに突き動かされることが少なくなると、気持ちに余裕が生まれてくる。

辞書と名の付くものですら、読んでみようかと思うようになる。

 

「やさしいビジネス英語」も、やっと積読の呪縛から解放された。

めくるページの先にある世界に、期待満々。

 

毎日10分読書でこなせる量など知れている。

でも、楽しい。

 

「へぇ、そんな訳し方あるんだな」

「その例文、面白すぎ」

 

それが楽しいのか?と訊かれたら困ってしまうが。

まぁ、でも、初老になってわかることもいろいろあるから。

 

い編三度絶つぐらいに読んでもいい本に出合えるなんて、それは幸せ。

ただ、コーヒーの染みをつけてしまったことが、少し残念。

 

…このブログを書いているさなか、頭の中でなぜかこの歌がリフレイン…

「トノサマガエル、アマガエル

かえるにいろいろあるけれど

この世に一匹

平面がえるのぴょん吉様は

けろっ、けろっ、けろっとは鳴かないで

根性、根性、ど根性

泣いて笑ってけんかして

『憎いぞぉ、この、ど根性ガエル!』

どっこい生きてる、シャツの中」

 

 

 

 

方向性

「初老のつぶやき」が、裏アカのようになってしまって、早一か月。

まぁ、それはそれでいいだろう。

 

「料理も英語も」が母屋なら、「初老」は離れ。

こちらはこちらの、ゆったりとしたペースで。

 

寒さがつらい、手足がしびれる、といった中高年には欠かせない話題。

あと○○年で年金受給だ、といったリアルな話題。

 

老いの入り口に立った自分のことを綴っていくのもいいかな。

でもそれじゃぁ、読み手を勇気づけることはできないな。

 

ゆっくりと考えよう。

孫へのプレゼント

さっき、ラジオを聞いていたら…

「次のリクエストは、お孫さんへのプレゼント…」

 

流れてきた曲は、僕が大学生の頃、よく耳にしていた曲。

「孫へって、この人、いくつなの?」

 

「50代のリスナーの方からのリクエストでした」

へぇ、20~30代で結婚して、40~50代でその人の息子か娘に子供ができたということか。

 

僕には嫁さんも、まして子供も孫もいないから。

「人生、いろいろなんだなぁ」と感慨深い。

 

おひとりさまの先端にいる(と思われる)僕だけど。

お店に入っても、混雑してきたらカウンターに回されたよな。

 

海外旅行しても、ベットの料金をもう一人分要求されたっけ。

一列が偶数の座席では、なんとなく邪魔しているような気がしたよ。

 

とはいえ、最近は一人であることに社会が寛容になってきてるかな?

それは、大歓迎。

 

でも、一人で終末を迎えることには、相応のリスクがある。

どうしたものか。

 

ミニマリストとして生きていくことはどうだろう。

いろいろと抱えるから、後始末が大変になる。

悩みが尽きない。

 

何でもかんでも捨てて、身軽になろうとは思わないけれど。

でも、数はなくとも何とかなるのなら、そちらを選びたいと思う。

損得勘定

聞きかじりというか、読みかじりというか…。

先日のこと。

 

「損したくない!」という気持ちは、底なし。

(「得したい!」という気持ちも、そうかな?)

「放送終了後、30分以内なら○○円!」「キャンペーン価格で半額!」「5個で3個の値段!」「日曜日はポイント5倍!」

 

「そういうことなら、財布のひもを少し緩めて、と」。

あれこれ買ってsaveできたような気がするが、実は浪費していたり。

 

買ったものは、本当に必要なものだったのだろうか。

損したくないと思いながら、実は浪費していたりして。

 

すぐにアクションを起こさないことで、損することもあるかもしれないけれど。

でも大概のことは、二晩三晩よく考えてから手を出しても間に合うような気がする。

 

英語がペラペラ 

とか、六か国語ペラペラとか、そんなタイトルの本を70年代から80年代にかけてよく見かけた。

そんなタイトルの本を、僕も手元に何冊か持っていて、今、それらを引っ張り出して読んでいる。

 

率直なところ、「そのレベルでペラペラと呼べるのか?」

挨拶ができて、料理の注文ができて、それで「ペラペラ」なのか?

 

だまされたね。

それはないだろう。

 

言葉って、学べば学ぶほど闇が深くて、困る。

「まぁ、こんなものだろう」では済まない、日常会話に於いてさえ。

 

あと、だまされたといえば、「英語のシャワーを浴びれば、上達する」という趣旨のもの。

だめだよ、シャワーだけでは。

 

温めのお湯にしっかりと浸かるように、じっくりとやらなきゃだめなんじゃないかな。

当該言語の体系を、どこかの段階しっかりと学ばないと。

(差異が大きな言語間では、特に)

 

イマージョンは、例えば英語とフランス語とか、近く感じる言語なら効果があるかもしれないけれど。

日本語と英語では…。