行間は人生経験で読む

ながら仕事をしながらラジオを聞いていたら、こんな言葉が耳に届いた。

そうだよね。

 

読む対象は活字に限らない。

そこにコンテクスト(文脈)があればいいのだから、聴くことだって。

 

敷衍すれば、対人関係だって「読む」対象になるのだろう。

「忖度」は、行間を読む行為のひとつだと思う。

 

鈍い人、空気が読めない人は、ひょっとして、経験不足からそこに漂う見えないもの(行間)に気付けないのか?

 

初めての作業でも上手にこなす人は、過去の経験を上手に活用しているのだろう。

彼らの頭の良さは、そこにあると思う。

 

でも、行き過ぎは如何なものか。

メディアで「忖度」という言葉を見聞きすると、なぜかそこに否定的な響きを覚える。

 

なまじ経験があるから、行間を深読みして、あらぬ方向に走ってしまう。

相手にその気があると察すると、早速それを利用するずるい人間もいる。

 

やはり、行間などというものを読まなくてもいい、読ませなくてもいいようなコンテクストを意識して作ることが大切なんだと思う。

 

「鈍い奴だ」と思ったら、どうしたらいいのかを伝える。

「空気を読めよ」と言う前に、空気の読み方を伝える。

 

とはいえ、余韻というのも大切だから。

推し量るところがあるから、例えば俳句や恋愛は面白い。

 

明瞭8割、暗黙2割ぐらいが丁度いいのかな。

すべてのことが「科学論文」のように隙間なく埋められたら、それはそれで、ねぇ。